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息子の憂鬱

一昨日、夕方幼稚園から子供たちをピックアップし、いつものように車で家に帰る途中、いきなり5歳の息子が、泣きはじめ、私に「ぼく、女の子になりたい」と言ってきました。

男の子にしてはおとなしい目で、マイルドな性格で、幼稚園でも女の子たちのグループに入っていることも多いことは、母としても知っていましたが、まさか、若干5歳の「性転換希望発言?」については、さすがの私も、心の準備が出来てませんでした・・・。

が、ここで取り乱してはいけないと、まずは落ち着いて「どうしてまた、女の子になりたいの?」と聞き返してみました。

「だって女の子のほうが、長生きだから・・・」

ははーん、これを聞いて、なんとなく私の頭で、訳の分からない発言の背景にあるパズルが、見えてきました。

時は数ヶ月前に遡ります。

息子が家族で食事中に、「ねえ、知ってる?男の子のほうが、長く生きるんだよー」と言うので、「え、そんなこと誰が言ったの?」と私が聞くと、幼稚園で、男の子との友達がそう言っていたとのこと。すかさず、頭で考える前に、すぐに言葉(時に残酷)が出てしまう主人は、「平均的には、女の子のほうが長生きなんだよ」と一言。・・・息子はシーンとなり、この時は、このトピックはここで終わりました。

そして一昨日、夕方に息子の「女の子になりたい宣言」があった日の朝、家族全員で(幼稚園に子供を送った後、そのまま駅に主人を送りにいくので)、車に乗っている時、息子が、「ねえ、人間はみんな死んじゃうの?」と聞き、また主人が、「そうだよ。赤ちゃんとして生まれて、そして死んでいく、それは皆一緒だし、それが命だから、悲しむことはないんだよ。いろんなことを経験して、楽しく生きて、人に愛されていたなら、たとえ死んでしまったとしても、それは幸せなことなんだよ」。「泣いたらダメなの?」と聞く息子に、「もちろんいいけど、死はそんなに悲しむことじゃないんだ」。・・・私にはもちろん、主人のメッセージは分かるけど、ちょっと5歳の子には複雑で抽象的すぎる言い方じゃないのかな?とその時、少しひっかかっていたのですが、あえて何も言わずにいました。いつもはあまり人の立場に立ってものを言うことのできない典型的なドイツ人の主人ですが、この発言の奥には、息子にとってのドイツ方の曾おじいちゃん(主人の祖父)のことを考えていることが私には感じられたからでした。

先日99歳になった曾おじいちゃんですが、ずっと元気だったのに、去年から体調を壊していて、誕生日に皆で会いに行ったときも、痛み止めのモルヒネのせいか、あまり話すことも出来ない様子でした。この数ヶ月の衰弱は明らかで、やはりどんな元気で長生きしても、最後はやはり皆弱くなって、死んでいくんだ・・・という当たり前のことを、私自身も再実感しました。

同様に感じた主人は、もし曾おじいちゃんが亡くなった時に、息子がショックを受けないように、「死は悲しむことじゃない」というメッセージを伝えたかった、ということだと思うのですが。。。

息子はこの日、なんと一日中、幼稚園で「自分はいつか死んでしまうんだ。それに自分は男の子だから、すぐに」と、遊んでいる時も、ご飯を食べてる時もずっと考えていて、こわかった、と私に告白したのです。

まずは、主人は、「女の子は平均的に長生き」と言ったのに、息子にはその「平均的」という言葉の意味が分からなかったようです。そして、女の子であれば、長く生きれると思ったようです。これに関しては、「ドイツの曾おじいちゃんは99歳で、とっても長く生きているけど、日本の曾おばあちゃんは、女の子だったけど、曾おじいちゃんより早く亡くなってしまったでしょう」と、例を挙げることで、少しは落ち着いて理解したようです。

「誰でも死ぬ。曾おじいちゃんも、もうすぐ死んでしまうかもしれない」ということは、今のところ、どう説明していいか、私にも正しい答えが分かりません。

とにかく子供って、まだこの世に生まれて数年で、経験が少ない上に、言葉の抽象的な意味もよく分からず、そこに断片的な偏った情報が来た場合、自分なりにも、頭の中でいろいろつなげ合わせたりして、時に深刻に思い悩んでしまったり、パニックになってしまったりすることがあると思います。

親は発言内容や、言い方、語彙や言葉の使い方にも十分気をつけなければいけないし、子育てって難しいなと感じます。子供にむやみに不安を与えたくない一方で、世の中の現実についても少しずつ、明かしていったりしなけばいけない訳で・・・。

そういう意味では、やはり親が自分なりの世界観にある程度自信をもって、子供に、「こんな見方もあるんだよ」という風に、強引な押し付けにならないくらいに、機会ある毎に、表現していかなければならないのかなと思います。あとは成長するにつれ、他の大人や友達などの別の世界観、価値観に触れ、少しずつ自分自身の世界観をかたちづくっていくのだと思います。
by mikiogatawestberg | 2008-01-17 19:59 | 教育・Edu・Erziehung
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